29年目の阪神・淡路と北陸
1年前にこのブログを始めて、すぐに1月17日がやってきました。
関西の多くの人にとっては忘れられない日です。
今年の元旦に北陸で大きな地震があり、いろんな報道を目にしたり耳にしたりする度に29年前のことを思い出していました。
救援活動もあの頃とは変わって進化した部分もあれば、あまり変わってないこともあります。
どちらも震度7を記録する激震だったとはいえ、阪神・淡路と北陸では地理的には大きく違うので29年前とは違った問題が出てきているようです。
阪神・淡路の時も交通渋滞が問題視されましたが、北陸では土砂くずれによる道路の寸断が救助を遅らせる一番の要因になりました。
交通渋滞を避けるために外部からのボランティアの受け入れを極力減らしたにもかかわらず、救急車両が渋滞に巻き込まれている写真もたくさん見ました。
この点は今後の災害救助の課題のひとつになることでしょう。
阪神・淡路の時は都会における災害の問題点が顕になり、東日本の時は海岸に近いエリアの災害とはこういうことかと思い知りました。
今回の北陸の地震では、阪神・淡路の時のように住宅崩壊による死者が多く、しかも海岸近くでは津波の発生で避難を余儀なくされ、壊れた住宅から救助できなかったという話も聞きました。
阪神・淡路と東日本のような災難が両方襲ってきた不幸が重なりました。
能登半島の北部、奥能登と呼ばれるエリアでは未だに寸断されてる道路も多く、避難所での大変な生活が続いています。
また比較的被害が軽かった石川県の他のエリア、そして富山や新潟の被害もまだ完全に復旧してないと聞きます。
一刻も早く復旧を!という気持ちと共に、災害後の復興は長い道のりになることも残念ながら知っています。
阪神・淡路の時も急激に回復する部分と、取り残されたままのような部分とが混在しながら、そのグラデーションの割合を変えながらゆっくりと街が元気を取り戻していたように記憶しています。
被災した人たちは今も不安でいっぱいだと思いますが、神戸や東北の人たちが時間をかけて復興させたということを心の片隅に覚えておいて前を向いてほしいと願うばかりです。